夏に歌った者は何を稼いだのか
<p>今あなたの口座は夏か、それとも冬か。ここで夏とは金がよく稼げる時期、冬とは稼ぎが途絶え、持ったものを崩して使う時期を指す。この問いが重要な理由は、夏にすべきことと冬にすべきことがまったく異なるからだ。</p>
<p>アリとキリギリスの話はおおむねこう記憶されている。アリは夏の間ずっとこつこつと餌を集め、キリギリスは遊んで歌っていた。冬が来るとキリギリスは飢え、それで私たちは「前もって蓄えよ」という教訓を得た。勤勉なら生き残れ、怠けなら飢えるという話だ。</p>
<p>ところがギリシャ語の原典を開いてみると、絵はやや違う。飢えて訪ねてきたのはキリギリスではなくセミであり、セミの返答は言い訳ではなかった。「暇だったのではない。歌を歌っていたのだ」。遊んでいたという言葉ではなく、ずっと働いていたという言葉だ。</p>
<p><img src="/ust-original/ust-original-omiju-20260816-1-tk1d57.jpg" alt="夏の陽光が降り注いだ乾いた野原と遠くに見える低い倉の屋根" />
<em>夏の陽光が降り注いだ乾いた野原と遠くに見える低い倉の屋根</em></p>
<h2>アリたちは笑って言った</h2>
<p>原典のアリは私たちが知るほど品行方正ではない。セミの事情を聞いてアリたちが口にした言葉はこうだ。</p>
<blockquote>アリたちは笑って言った。夏に笛を吹いていたなら、冬には踊れ。</blockquote>
<p>拒絶に笑いが添えられている。助けないというだけでなく、嘲笑まで上乗せしている。用意した者が用意できなかった者をあざ笑う場面であり、物語はその笑みをわざわざ隠してはくれない。</p>
<p><strong>市場は冬が来ると、用意した者に報酬を与えるのではなく、用意できなかった者から奪い取る。</strong>下落相場で金を失う側は、大抵、売るより他にない状況に追い込まれた人たちだ。生活費が足りず、借金を返さねばならず、これ以上耐えられず売らざるを得なくなる。その物量を受け取る側は、売る必要がない人たちだ。アリの笑みは、その構造を正確になぞった絵である。</p>
<h2>冬でもアリは働いていた</h2>
<p>物語の最初の場面は倉ではない。冬、湿った穀物を陽に干すアリたちだ。ここでの穀物はこれまで蓄えてきたお金、倉はそのお金が入った口座を意味する。蓄えておいたものであっても傷むため、冬にもう一度手入れをしなければならなかったということだ。</p>
<p>このくだりが実は最も実用的だ。<strong>蓄えることで終わるのではなく、蓄えたものを絶えず手入れし続ける必要がある。</strong>口座を開いて放っておいた間に銘柄の事情は変わり、現金は物価に少しずつ削られ、構成比はいつしか一方に偏っている。夏のうちに買う作業より、冬に再び乾かす作業のほうが手間がかかる。</p>
<p>したがって問うべきことは「何を買うか」ではない。今が自分にとっての夏なのか冬なのか、そして冬が来たときに売らずに耐えられるだけの資金が別に確保されているかだ。数ヶ月分の生活費が株式の外に出ていないなら、下落相場は「耐える」仕事になり、外に出ていないなら「売る」仕事になる。</p>
<p><img src="/ust-original/ust-original-omiju-20260816-2-tk1d57.jpg" alt="雪が浅く覆った野原の上に広げて干す穀物の山と低く差す冬の陽光" />
<em>雪が浅く覆った野原の上に広げて干す穀物の山と低く差す冬の陽光</em></p>
<p>歌った時間がむだったとは言えないだろう。セミは実際に働いており、ただその労働の対価が冬まで残る形ではなかっただけだ。夏に売買に費やした時間もまた同様に、残るものがある。どんなニュースに自分の手が最初に伸びるか、どの程度下げると眠れなくなるか、自分が耐えられる損失の幅はどこまでか、といったものだ。この三つを知った人は、次の冬に売らずに済む側の席に座っている。</p>
<p><em>文・ウミジュ編集部 | USTオリジナル 投資と人生</em></p>